2010年12月9日木曜日

良い商品なのに売れません。

沖縄にはよくある話だと思うのですが、商品は自信があってもなかなか売れない。みたいな話を良く聞きます。例えば沖縄県の県産品などで、油みそであったり、シークワサーであったり何でも良いんですけど、じゃあ「これを売ろう!」としたときにありがちなのが「デザインを変える」という方法です。沖縄テクスファームのデザインは得意な方ですが、この考え方は個人的には反対です。デザインはどこまでいっても2番目か3番目に重要とされるものだと思っていますし、物が良ければデザインは後から付いてくると考えています。例えば酒豪○説というものがあって、あのデザインがオシャレかそうでないかと考えれば、オシャレでもないし、クォリティーが高いとも思いません。
もっとセンスいいデザインは直ぐにできると思います。でも酒豪○説はあのデザインを変える必要はないはずです。商品そのもので勝負ができるものはデザインの重要度は低くなると僕は思います。一番重要なのは、やっぱりどうやって消費者に接触させるかの仕組みが一番重要だと考えます。その仕組みを考えることに一番力を注ぐのが効果的だと思います。売れない商品のパッケージを変えることは、まさに上っ面で、商品に自信がないだけだと個人的に思います。とにかく重要なことは商品の持っている力と、その商品への接触方法、それは単に流通経路が大きいとかではなくて、実際に商品の魅力を「ダイレクトに良さを伝えることのできる人の人数をいかに増やせるか」だと思います。そこの部分がなく単に物流経路が大きいだけでは単に生産量が増えて売れなかったときに損害になるだけだと思うのです。「ダイレクトに良さを伝えることのできる人」から徐々に販路を広げて行けばデザインは後からついてくるはずです。酒豪○説でもデザインが優れている訳ではなくても、今となってはあのデザインじゃないと酒豪○説は成り立たない商品になったと思います。デザインは優れてないのに「効く」という事実が良さを伝えられる人から広がり、デザインとしては優れていないものが「効きそうなデザイン」に変化していったと僕は思います。
要するに僕の個人的な考えですが、例えば100点のデザインがあったとしても、0点のデザインが商品によっては100点以上の価値を生むこともありますし、逆に100点のデザインが0点の価値を生むこともあると、そもそもデザイン自体に点数をつけることは無理ですし、数学のように1+1=2というふうな確定した答えは
無いわけですからね。

意味不明の服をオダギリジョーが着たら個性的でオダギリジョーらしい服に変わるわけですから、例えがおかしいか?