2011年2月23日水曜日

世の中簡単になりました。

自分がやる意味のあることを見つけないとなかなかやりがいは感じられない。だれがやっても同じようなことを続けることは結構困難だ、建築でもそうだけど単に決められたことを形にしても最終的には自分の存在意義が感じられないようになるだろうし、でもそれが自分の発想でしか生まれないような建築物なら自分の存在意義も感じられるだろう。でも今の世の中は何もで簡単にできるようになってしまったから「自分が何かできる人間だ」と感じやすい世の中でもあると思う。例えばDJとかでも昔ならレコードを探して、ターンテーブルを買って、練習して、その段階のなかで自分を見つけて行くもで何よりもその時間が重要だったように思うけど今はほとんどのことをすっ飛ばして、タダで音源落としてパソコンで勝手にピッチ合わせて、すぐにできるわけで、ほとんど苦労は要らずにできてしまう。放送でもそうでパソコンあれがその日のうちにustができるわけで結局頭を使うことも苦労も大して必要ない。以前なら苦労の上に表現できる場所があったように思う。以前レコード店で働いていたときにサンプルCDが手軽にもらえた、だけど結局自分でお金も出してないのでどこかで適当な聴き方になるものだった。やっぱり人は負担があってこそ熱心になれるものだと僕は思っています。
負担無く何でも簡単に手に入ったり、簡単にできる世の中はすべてが気薄になっているような気がして熱を感じません。今の世の中のスカしたものが良しとされるのは個人的にはいい時代になったと思いません。スカした感を出すときにも「感」が大事で単にスカしたものはどーでもいいように思います。
ちなみに与えられたことを淡々とこなせる人には僕は大きな可能性があると思っています。たぶんしたいことを見つけたら近道だけを考えずに自分のやるべきことを淡々とやっていけると思います。なんでも簡単には考えないと思うので、そんな人こそ僕は未来ある人だと思います。